設立

医療・保健システムに女性の視点を生かし、男女ともに生き生きと幸福に暮らせる社会をつくりたい ― わたしたちの会は、同じ願いをもつ医療者・学者・教師・ジャーナリストなどにより、1997年に設立されました。

そのきっかけは低用量ピル(以下ピル)の認可問題でした。

1997年3月、ピル認可について検討するための公衆衛生審議会を傍聴した堀口雅子医師(虎の門病院産婦人科元医長)は、会の設立呼びかけのレターに、ピルが審議会で「認可されれば女性の性行動が活発になりエイズなどの性感染症の蔓延が危惧される。したがって認可すべきではない。」という論調で話し合われることに、「何度“違う!”と声にならない声をあげ、こぶしを握りしめたことでしょう」と書いています。そもそも、何十人といる審議会のメンバーのうち、女性の委員はひとりもいなかったのでした。

堀口医師からの「もしかして妊娠してしまったかもしれない、という不安を抱えて指折り待つ女性たちの不安、月経がはじまりほっと安堵する気持ちを彼らは知っているのでしょうか。わたしたちは女性の代弁者として、かつ専門家として、きちんと意見を言うべきではないでしょうか。」という熱いメッセージは、ジャーナリスト芦田みどりさんの仲介を得て、数十人の女性たちに届けられ、初夏のある日、堀口医師の自宅にメンバーがあつまりました。

これは、興奮する出来事でした。お互いに名前は聞いたことはあるがはじめて会ったプロフェッションルたちが、はじめて、個人として感じていた女性医療の実態への疑問や不信について語り合ったのです。そして「私たち自身がきちんと情報を得、女性の目からみた、冷静で科学的な発言を、医療や行政に対してしていこう!」と意見が一致し、「性と健康を考える女性専門家の会」が立ち上がったのでした。
(会の名前が決まる前、当会は1107の会(いいオンナの会)と呼ばれ、11月7日に設立集会が予定されていました。現在もメーリングリストのアドレスにその番号が残されています。実際の立ち上げは、11月8日に行われました。)

ピルが日本ではじめて経口避妊薬として認可

1999年7月にピルが日本ではじめて経口避妊薬として認可され、9月に発売されるまで、当会の活動はたいへん活発で、実に多彩なセミナー、シンポジウム、勉強会、アドボカシー活動を行ってきました。

思い出に残るのは、設立集会となったコロンビア大学のキャロリン・ウェストホフ助教授による「ピルの認可を求めて」、500名以上の参加者を集めて行われた、スウェーデンのカロリンスカ大学のハーゲンフェルト教授ら世界の名だたる講師陣によるシンポジウム「21世紀の女性医療」です。会員の熱気と会の若いエネルギーの感じられる催しでした。

また、主な女性議員たちに働きかけたり、旧厚生省、日本産婦人科学会、日本母性保護医協会、テレビや新聞の関係者など、私たちが会ってアドボカシーを行った人々は多岐にわたりました。その間、「ピルと女性の健康」検討資料集、避妊ガイドブックなどメンバーの手によって出版、製作された本や資料のいくつもが、ピル認可後の使用指針になっています。

認可が決定した1999年の5月には、事務局である朝日エルの会議室に堀口会長以下主だったメンバーが集まり、祝杯をあげました。この2年間の間に、一部専門家や官僚、政治家のあいだで、ピルは、「エイズを蔓延させるもの」から「女性が主体的に利用できる科学的な避妊法のひとつ」として認識が変わってきました。

しかし、認可されても、国民の多くのあいだでは、あいかわらずピルといえば、「副作用がある、ホルモンはこわい、自然でないものはやめたほうがいい」という偏見や誤解が強いという現状は変っていませんでした。一般の女性たちの科学的知識が増え、心身と社会的な健康に対する認識が高まり、自己価値感と性の自己決定能力が育たなければ、避妊薬(望まない妊娠に対する予防薬)としてのピルは服用できないということがわかったのです。また、多くの産婦人科や他科の医療者たちの方も、偏見があり管理的・指示的で、女性たちに正しい知識を提供し、女性たちの選択を重んじてピルを処方することが難しい状況が浮かび上がってきました。

そこで、私たちは、どのようにすれば、日本女性たちが予防と生涯健康の視点を育て、証拠に基づいた科学的な情報を得、個々のライフスタイルに合わせて情報の選択と利用を行っていけるのかを次の課題として活動するようになってきました。

次の課題へ

2000年に作成した会の紹介パンフレットには、以下のように書かれています。

この50年間に女性のライフスタイルはすっかり変わっています。身体の成長と性行動の開始が早くなり、産む子どもの数は少なくなりました。一方で高学歴化し、職業をもって社会参加するのがあたりまえになりました。寿命も飛躍的に延び、閉経後の人生は30年以上に及んでいます。それにともない、長い人生をどうやって健康の質(QOL)を保ちながら豊かに生きるかが新しい課題となっています。 WHOは、身体のみならず精神も社会的な状態も、すべて良い状態(Wellbeing)であってこそ、真の健康と言っています。私たちは、女性の健康の専門家を目指して、証拠にもとづいた正しい情報を提供し、わが国に包括的な女性医療・保健システムを実現するために活動をしています。

2000年作成のパンフレットより

このころから会は新しいメンバーを次々に迎え、第二期とも言える時代に入りました。ピルの問題を通してはっきりしてきた女性医療・保健の課題に多方面からとりくむプロジェクト活動が中心になりました。健康啓発(ヘルスエデュケーション)、学校や地域での性教育、自己決定能力の育成などを柱として、10を超えるプロジェクトが誕生しました。内科・産業医や精神科医、研究者などを中心とした「働く女性の健康プロジェクト」は、すでに何度も新しい形のセミナー・シンポジウムを展開しておりましたし、薬剤師たちが中心になって「くすりプロジェクト」がCASP(エビデンスに基づいた論文評価法)の勉強会を開催、また医療者として自立し行動していこうとする「助産師エンパワーメンプロジェクト」、避妊ばかりではなく性の健康を社会的に考えようとする「STD予防プロジェクト」「十代の健康プロジェクト」など、職域を超え学際的に活動しようとする多種多彩な会員たちの自由闊達な活動が広がっていきました。

また、臓器別ではなくトータルな人間として診る統合医療を臨床で実践しようとする女性総合医療も、当会会員を中心に各地で試みられるようになりました。岡山や福岡での試みはその先駆とも言えます。また、医学的にも性差医療(ジェンダースペシフィックメディスン)が注目され、男性と女性の生物学的、遺伝学的、医学的、社会的差異について検討されようとしています。

2003年。女性医療・保健は「健康日本21」でリプロダクティブヘルス・ライツの項目として掲げられ、わが国の医療・保健の目標として推進されようとしています。しかし、ひとりひとりの人間によりそい、自己決定を支援しようと私たちが求めてきたトータルな医療・保健の実現には、まだ遠い道のりであるといえます。とはいえ、この数年、当事者主体の医療改革のムーブメントには目をみはるものがあり、これからは、ますます当会が、専門家でありかつ当事者の視点を失わない活動を、真に一般女性の健康と幸福のために展開できるのかどうかが、試されることでしょう。

当会設立後の活動の軌跡

毎年テーマを決めて活動してきた本会のあゆみ