名誉会長堀口雅子先生と、アドバイザー貞夫先生のこと

理事 中村和代

雅子先生の歴史

堀口雅子先生は、1930年3月28日東京で生まれ、六本木にあるミッションスクールの東洋英和女学院(赤毛のアンの翻訳者、村岡花子さんの母校です)を卒業後、東京薬科大学を出て薬剤師となり、その後群馬大学の医学部に入学。基礎体温の研究で有名な松本清一教授のもとで、産婦人科の医師になられました。松本先生は、馬術部を率いて真っ黒に日焼けしていた雅子先生を見て、日本人ではないと思われたそうです。
他の同級生よりかなり年上の雅子先生は、「おばちゃん」と呼ばれ、よく料理を作り、みんなに食べさせてあげていたそうです。

その後、東京大学の産婦人科医医局に、初めての女性医師として入局。そこで出会ったのが、貞夫先生です。雅子先生より三歳年下の貞夫先生ですが、医局では先輩。雅子先生は、貞夫先生の患者さんに接する時のやさしさにひかれ、38歳の時に結婚されました。

お二人の間には、息子さんがお二人おられます。
39歳と42歳の時に高齢出産をされました。貞夫先生が取り上げたそうです。産前産後休暇しかなかった時代に、雅子先生はみずから保育園を作り、また周囲の方々の手を借りながら、仕事と育児の両立を成し遂げられました。

雅子先生は、東大の医局勤務の後、長く虎の門病院の産婦人科医長を務められ、「あの人は私が取り上げたのよ」というお話をよくお聞きしてきました。虎の門病院を退職後は、銀座の女性成人病クリニック、四谷の主婦会館クリニックなどで臨床を続け、今も月二回、女性成人病クリニックで患者さんを診ておられます。また月に一回主婦会館にて、無料で十代の相談に乗る「ティーンズカフェ」を主宰しておられます。加えて、多くの本を出版され、講演や取材、監修などのたくさんのお仕事をなさってこられました。

当会の会長として

第1号ニュースレター

1997年11月、雅子先生を会長に、当会は設立しました。早乙女智子さん、対馬ルリ子さん、芦田みどりさんが、精力的に動き、全国から運営委員や会員を集められました。雅子先生を慕って会に入られた方が多かったことを、記憶しています。女性産婦人科医がまだ少数だった25年前、たくさんの女性産婦人科医が会員になってくださいました。また、助産師、男性産婦人科医、教育者、メディア、政治家の方々など、さまざまな職種の方々も会員となってくださいました。貞夫先生は、設立当初から、会のアドバイザーとして、会を支えてくださっています。

設立前の会議はもとより、設立後も数年間は運営委員会を四谷の堀口邸で開催していました。また、プロジェクトの会議も堀口邸で開催していました。雅子先生はとにかくみんなの意見をよく聞き、常に前向きの決断をされてきました。議論の合間には、お茶を入れてくださったり、いつも全員のことを気遣っておられました。

志を同じくする他の団体と共に低用量ピルの認可に向けて猛烈に活動を続けた結果、1999年6月に認可を勝ち取り、その後は働く女性の健康、更年期、性教育、タバコ、障がいと性など、スポットが当たって来なかった女性の性と健康の分野の啓発を行ってきました。

2012年6月、早乙女さんに会長を交代してからは、名誉会長として、後進を温かく見守ってくださっています。2016年からは雅子先生の私財により、地方の会員の活動を顕彰し、東京で開催することの多い総会に参加いただくことを目的に、堀口雅子賞を創設。

雅子先生と貞夫先生のすごさ

2022年3月には、雅子先生は92歳になられます。2月生まれの貞夫先生は、89歳になられました。
お二人はメールアドレスも一緒、お風呂に入るのも一緒。「貞夫が」「雅子が」と話される時の声のトーンも愛情にあふれ、お二人とご一緒する時間はこちらも幸せになれる時間です。

このお二人の、何がすごいのか?私の思ったことを書き並べてみます。

  1. 誰も否定しない。誰に対しても同じにやさしく、ほがらかに接する。
    誰の話でも、よく聞かれます。頭ごなしに否定されるのを聞いたことがありません。また、誰に対しても、いつでもやさしく、温かく、ほがらかに対されます。感謝と誉め言葉もよく口にされます。乳房健康研究会主催のピンクリボンウオークのテントで貞夫先生と話していた時に遠くからダウン症の青年がすごい勢いで貞夫先生めがけてやってきて、貞夫先生に握手を求めたことがありました。「あぶあぶあ&LOVE」のひがしのようこさんが、ダウン症の人たちはいい人を見分ける力に優れていると、よく言っておられましたが、まさにその通りの一コマでした。
  2. 大事なことでは一歩も引かない。それ以外のことにはこだわらない
    低用量ピルが認可されない、女性が差別されているなど、許せないことにははっきりと意見を言い、一歩も引かれません。が、それ以外のことにはものすごく寛大です。私が関わった大量の印刷物に掲載した雅子先生のお名前が間違っていた時に、平身低頭して謝罪をする私に、「何を謝ってるの?私はそんなちっちゃい人間じゃないわよ。気にしないで」と、さらり。
  3. いつまでも好奇心を失わず、勉強する。わからないことは人に聞く。
    会の勉強会以外にも、さまざまな会に何気なく参加されています。性のお悩み相談室の相談には、事前に下調べをして臨んでくださいます。また、ご自分たちの知識と経験だけでは答えられないお悩みには、「◎◎さんに聞いてみたいね」と、適材にヘルプを求め、新しい発見をされた時のお顔は、本当にうれしそうです。
  4. ものすごく親切。人と人をつないでいく。
    ご夫妻ともに、困っている人がいたら、「私は何をすればいいの?」と、親身に相談に乗ってくださいます。また、ごく自然に人を紹介くださり、いい人といい人がつながっていくように感じます。お二人のおかげで、いろいろな方と知り合うことができました。

加えて、ご夫妻共に、ユーモアにあふれ、おしゃれです。が、生活は質素で、少し前までは「都営地下鉄は(高齢者パスで)、タダだから」と、築地の当社で開催する理事会には、片道20分ほど歩かなくてはいけない都営地下鉄を利用されていました。

雅子先生と貞夫先生とのこれから

雅子先生は名誉会長として、今も理事会、総会、勉強会、シンポジウムに参加され、会の困りごとに対しては常に大きな力を発揮くださっています。貞夫先生はアドバイザーとして、広くて深い知見と人脈で、会を支えてくださっています。

昨年からは月1回「雅子・貞夫の性のお悩み相談室」で、ご夫妻で毎月さまざまな相談にオンラインでお答えいただいています。加えて、月1回「貞夫と雅子の部屋」と称して、セクシュアリティについてあたりまえに自由に話す、オンラインおしゃべり会のホステスとホストも務めていただいています。

雅子先生の生い立ち・生き方については、2021年3月に出版された「自分をもっと大切に」(あさ出版)に詳しく書かれています。まだお読みでない方は、ぜひお読みになってください。
雅子先生、貞夫先生には、これからも会を支えていっていただきたいと思います。
ますますのお元気とご活躍をお祈りしております。