本会とSDGs
解説:会長 早乙女智子
1997年に、堀口雅子名誉会長から仕事の依頼がありました。日本ベトナム二国間母子保健プロジェクトでベトナムに行って欲しいというものでした。当時、常勤勤務医の私にとって長期専門家(数年)はおろか、短期専門家(1~2か月)でさえ難しかったのですが、10日間という超短期でJICAとJOICFP(ジョイセフ)の合同事業に参加しました。その頃から、日本のODAは金は出すが人は出さない、とか、持続性がないことを指摘されていました。数年にわたって3回ほどベトナムを訪れました。プロジェクトの最後には、現地の担当者が、「これからは私たち自身でできる」と自信を持って感謝の辞を述べられた時には感慨深いものがありました。これは、今のSDGsに繋がる持続可能な開発目標Sustainable Goals です。南北問題と言われるように、北半球の国々と南半球の国々の格差や搾取の構造も問題になりました。
同じころに、北欧の更年期医療視察に行きました。こちらは最先端の医療を科学的で女性に役立つ混合型のホルモン補充療法の薬が使いやすいように工夫されていて、日本でこれが手に入るのは一体いつだろうと衝撃を受けました。はからずも、北と南の格差、そして日本の不思議な立ち位置を認識せざるを得ませんでした。ニューヨークでピルと出会った、会の立役者である芦田みどりさんの国際感覚や、私のこのような経験を踏まえて当会は1997年に設立となりましたから、当初から常に国際的な視点を取り入れて動いてきました。
2000年にはニューヨークの国連本部で開催されたミレニアム・サミットで、加盟国の全会一致で「ミレニアム宣言」が採択され、2015年までに極度の貧困を削減するための8つのミレニアム開発目標(MDGs)が策定されました。これは、1992年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された地球サミットで、178カ国以上が、人類の生活向上と環境保全のために持続可能な開発のためのグローバル・パートナーシップを構築するための包括的行動計画である「アジェンダ21」を採択したことから発展したものです。2000年は記念すべき年として、性の健康世界学会(WAS)でもミレニアム宣言として「性の権利宣言」が出され、2014年に改訂されています。2011年からお世話になったジョイセフの理事をさせて頂き、国際協力そのものには関わっていませんが、当会も国際機関の動きを国内の活動に生かしてきたと思います。
2015年は多国間主義や国際的な政策形成にとって画期的な年であり、災害や気候変動などの会議や、ニューヨークで開催された国連持続可能な開発サミットで、17のSDGsを含む「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されるなど、いくつかの主要な協定が採択されました。
日本でも内閣府が「SDGsアクション2022」としてSDGsを進めようとしています。しかしながら、いまだに日本は「女性差別撤廃条約 選択議定書の批准をせず、女性の権利を棚上げしています。選択議定書とは、個人や団体が権利侵害などの救済のために国連の女性差別撤廃委員会へ通報し、同委員会が審査などを行う個人通報制度を認めるもので、これがないということは、日本の女性の権利は国際標準にしたくてもそれを訴えることができないということです。
またSDGsの項目は、どれかが出来ればいいというものではなく、17項目すべてを満たそうというものです。女性に関わる項目としてジェンダー平等などがありますが、厚労省の目標の中には避妊や中絶の問題についていまだに明記されていません。これらを避けて女性の健康やジェンダー平等を語ることはできません。
SDGsアクションプランが形ばかりにならないように、私たちにとって必要なものがきちんと手に入るように活動していきたいものです。
参考資料:UN HP https://unfoundation.org/